本のある暮らし

読書ブログ

私と本の今まで。そして、これから。

あれは、いつどんなタイミングだったっけ。

 

 

 

今では周りの人達から

 

『渚といえば、本と音楽』

 

って言われるくらい本が大好き。

 

お出かけのときにはカバンの中に1冊は

必ず忍ばせておくし、忘れた時なんて

最高に落ち込む。

しょぼんどころじゃない。

 

 

 

だけど、今までの事を思い返してみても、

何がきっかけで本を好きになったのか

思い出せない。

それくらい、自然と好きになってたし、

すぐ近くには本があった。

 

 

 

そして、本は私の唯一の理解者だった。

 

 

 

 

 

小さい頃、と言っても小学生くらいの頃は

本はおろか漫画さえも読まないくらい、

外で遊ぶのが大好きだった。

スポーツ好きの女の子や男の子と遊ぶのが楽しくて、いつも肌を真っ黒にしてニカニカと笑っていた。

スポーツ大好きな私に、小学生の頃お世話になった先生が付けたあだ名は「マグロ」

寝ても覚めても動いているようだと言われた。

 

女の子なのに失礼だ。全く。

 

今でもその先生の丸々としたお腹と太陽でちょびっと輝く頭、体には似合わぬ走りの速さをありありと思い出せるが、運動好きな理由はその先生のおかげだ。

 

厳しくありながらも、真正面から向き合い評価してくれた。

 

小学校でも中学校でも、割と厳しい先生との付き合いが多かったが、みんな私の頑張りを見てくれていた。厳しく指導もしてくれたし、結果を残せばこれでもかと言うくらい褒めてくれた。

 

だから、スポーツが大好きだった。

 

結果を残せないことによる辛さ、自分を受け入れず上ばかりを見て苦しめてしまう癖も着いてしまったが、スポーツに全力で打ち込んだことな後悔はない。

 

 

だけど、中学生になった途端、

私は周りの目が気になり始めた。

男の子と仲良くしていた友達が「タラシ」と言われているのを目の当たりにして怖くなったし、制服がスカートだったから外でも遊ばなくなった。

 

小学生のときから一緒の子に、

「渚なんか静かになったねー。小学生の時の方が明るくて好きだったのに。」

と言われるほど。

 

 

中学生になってから部活に入り卓球を始めたが、先輩を差し置いて結果を出すことで先生に褒められたり気に入られるのも、怖くなった。

冷たい視線は、いつも心をギュッと握って、

私を苦しめた。

 

 

放課後や休みの日はほとんどが部活の毎日だったものの、学校の休み時間は特にすることがなかった。だから、たまに本を読んでいた記憶があるが、特に好きではなかった。

 

一時期、オタク系の男子(幼なじみ)と付き合い、可愛い女の子が表紙の本を読んでた。

それを見た友達に、

「え、渚ってそういうの読むん(笑)」

と言われて、

あ、こういうの読んでたら引かれるんだ

と思い、すぐに読むのをやめた時もあった。

それくらい、私は周囲の目に敏感で、

嫌われたり笑われたりするのが怖かった。

 

 

高校生になると、気付けば休み時間にいつも本を読んでいた。

多分、この頃から好きになっていたんだろうけど、何の作品を読んでいたのか思い出せない。

母が本をよく読む人で、家にはいつも本が沢山あった。

その中で勧めてくれた、赤川次郎シリーズだった気がする。

 

親しき仲にも殺意あり

 

という本を読んでいたら、

「渚ちゃん怖い!笑」

と言われたがどうでもよかった。

誰かと意味の無いどうでもいいことを話すより本を読んでいる方が心地よかった。

今思えばこの頃から人と関わるのが苦手になっていたし、性格が少し尖っていた気がする。

 

 

 

大学生になると家の中は本だらけ。

減らしても減らしても、また増える。

 

誰かにこの現象わかって貰えないかな、

なんて思ったり。

 

その時々によって、本のジャンルは変わる。

ミステリを沢山読む時もあれば、失恋して思いっきり泣きたくて恋愛小説ばかり読んでいる時期もあった。

 

 

だから、私はいつも思っていた。

 

 

手に取る本は、今の私の心を表している、と。

 

 

 

よく、「部屋の乱れは心の乱れ」というあれと

似ている。(ような気がする)

そして、その時の状況に必要な本にいつも神様は巡り合わせてくれると思っている。

ピンッとくる本は、今の自分に必要な本なんだと思う。

 

 

もしかしたら、私は都合のいい「本の中の世界」に逃げているのかもしれない。

ある占いを受けた時、そんな感じのことを言われた。

本の中の世界は雑音がないし、著者のお陰で人物の細かい心情まで分かる。

実際の世界では相手の心が分からなくて、

いつも人の顔色ばかり伺ってしまって疲れる。

だから、本が好きなのかもしれない。

 

 

これから先生きていても、この世の中の全ての本を読むことは出来ないだろう。

だから、いつも思う。

私の知識となり哲学となり、私を作り上げるような本と出会いたい、と。

本を読む時間も限られているなか、

自分の中で質のいい本を沢山読みたい。

「質のいい」は人によって違うだろうから、

同意も賛同も求めないし、自分の自己満足でいいと思ってる。

 

 

これから私はどんな本に出会うだろう。

そう考えると、少しだけこれから先

生きるのが楽しみになる。